身近な言論統制について考えてみた。




どうも、つぐりです。

しゃべるの好きだけど、人の話を聞く方が好きです。
…が!
最近、職場で言論統制みたいなことが起きてて、誠に遺憾です。
なので、今日のタイトルが「身近な言論統制について考えてみた」なんですが…。

言論統制が始まって2ヶ月…。
ずーっと悩んでました。
…自称スーパーポジティブですが、ポジティブだって悩むことあるんですよ!

自分なりに考えて、答えが出せたので、記事にしようと思い立ちました!

あくまでも今回は「身近な」ということに焦点を当てているので、主に職場の話になります。

難しいことを考えるのが苦手なので、政治がどうのこうのいうつもりはありません!

今回のテーマは「言論統制について」

難しいの苦手って言ってるのに、なんで小難しいテーマ選んだのか…と思ってます。
でも、書きたいから書きます。

そもそも、言論統制ってなによ?という感じですが…。

言論統制(げんろんとうせい)とは、政治権力が報道・出版・その他の言論に対して行う規制である。
規制の対象や方法は様々である。 マスメディアが対象となることが多いが、集会、デモ行進、個人の会話まで規制されることもある。

Wikipediaより引用

簡単に言えば、お偉いさんに会話内容を制限されるということです!
発言の自由がなくなっちゃう…ということでもあります!

言論統制で起こること。

発言の自由がなくなり、不満が溜まる。(わたしの場合はこれ。)

  • 言論統制をしている側としては、自分の環境を良くしたい。(強引な形ではありますが…)
  • されている側としては、自分の環境が悪くなる。(今までできていたことができなくなる)

今まで自由にできていたことを奪われるわけですから、不平不満も出てきます。
その不平不満を聞いて、環境が戻れば、救いようはあると思います。
問題は、環境が戻らなかった場合。

高い確率で悪化します。

言論統制の内容がどんどん膨らんできます。
気付けばワンマン化へ!
NOT民主主義!

そうなったら、大きな改革(職場で言えばトップが変わる)とかでもない限り、残念ながら状況は良くならないでしょう。

言論統制は、アイデンティティの否定による個性の死に繋がる

わたしが言いたいことはひとつ。

言論統制は「アイデンティティの否定による個性の死」への一歩!

(自身の体験を元にこの記事を書いているので、他の人にはあてはまらないかもしれません。)

知らず知らずのうちに、受けている側はアイデンティティを否定されているんじゃないかなと思います。
発言が許されないというのは、そういうことかと。

わたしはどちらかと言うと、発言が多いタイプの人間です。
仕事を円滑に進めるためには、まずはコミュニケーション!と考えています。

わたしは発言することによってアイデンティティを保っています。

言論統制が起きてから、職場の人からは「元気ないね」「最近らしくないね」と言われることが増えてきました。
きっと、わたしという個性が死んでいっているのでしょう。

その代わり、発言する場所をブログへと変え、アイデンティティを保つことを始めました。
ストレスが昇華され、いい方向に向かっているので、それはそれでよかったのかもしれません。

むしろ最近は、「きっかけをくれてありがとう!」と思うようにもなりました。
…スーパーポジティブ人間ですから。

まとめ

正直いうと、フリーターなのでいろいろな職場環境見てきました。
こんなふうになってしまったら人は辞めるわ、空気は険悪になるわで内部崩壊していきます。

これを知らないトップが多すぎる!と主張したい。
責任が重くなればなるほど、自分に力がつくほど、勘違いする人が続出するので残念なことこの上ない。
初めは虐げられる側でも、上に上がると忘れちゃうんでしょうね…。

わたしはそうならないように気を付けて生きていこう…と心に誓いました。




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