クリエイティブロガーはこうやってできました。




クリエイティブロガーこと、つぐりです。
自分の詳しいプロフィールを公開します!

生い立ちから現在に至るまで、長々と書いてあります。
読んでみたいと思ってくださったあなたはチャレンジャー!
心して、どうぞ!

自己紹介

「tsugurism/ツグリズム」の著者:つぐり(@tsuguriguri)
クリエイティブロガーと名乗っています。

1992年4月17日生まれ。
現在、25歳。
周りからおっさんやババアと呼ばれがち。
(どうやら、性別の壁を越えたらしいです)

京都出身、育ちは近畿圏のいろんなところ。
現在は大阪で暮らしています。

最近のブームはpolca。
支援したり、されたりがとても楽しい!

好きなことは絵を描くことと料理を作ること。
音楽は邦楽ロックが好きです。
椎名林檎とアジカンとRADWIMPSはわたしの青春。

このブログに関してのプロフィールはこちら
クリエイティブログはじめます。

ただいま兼業ブロガーやってます。

いずれはブログ収入でごはんを食べたいと考えています!
ブロガーとしてはまだまだ初心者。

初心者脱却のために、リストを作ってクリアできるように毎日活動しています。
初心者が、「初心者ブロガーから抜け出すための100のリスト」を作ってみた!

クリエイティブなことが好きです。
絵を描いたり、料理を作ったり…何かを創作することが好きです!

最近は写真を撮ることに興味を持ちだしました。
デジコン欲しい。

ざっくりとした経歴

京都にて誕生→小学校6年間で3回転校→暗黒時代到来(中学)→ちっとも楽しくなかった高校生活→高校卒業してすぐ就職(美容師)→人生最大の貧乏期→うつ病発症→美容師辞める→友人の家に1年居候→親・兄弟と絶縁→うつ病寛解(完治)→一人暮らし再開→掛け持ちフリーターへ→同棲始めた→もうすぐ結婚

文字に起こすと自分の人生案外、出来事少ない。

では、本題へ…。
長いので、読むなら休憩挟みながら読んでくださいね!

生まれてから、中学に入るまで。

幼少期

生まれは京都府の京都市です。
幼少期は京都で育ちました。
兄弟は年の離れた姉と、年の離れた兄と、わたし。
3兄弟の末っ子です。

生まれてから2年後の2歳、母親が一時蒸発。
6歳まで父親がわたしを育ててくれてたようです。

毎週土曜日だけ母親が家に帰ってくるという、複雑な家庭環境におかれていました。
ただ、この頃のわたしは幼かったため、それが一般家庭の普通かと思っていました。
今考えれば、完全な機能不全家族です。

小学校に入ってからは、母親がわたしを育て、父親の姿はなくなりました。
8歳の夏休み、離婚したと聞かされます。

ここで、今でも引きずっているトラウマが生まれます。

「おかあさんとおとうさん、どっちがすき?」

超父親嫌いだった姉から、「おかあさんの方がすき」と言わざるを得ない、答えがひとつしかない質問をされます。
このとき純粋だった、幼いころのわたしは、「どっちもすき」だったんです。
選ぶのがつらくて、その日の晩は泣いた記憶があります。

この質問は、親権はどっち?という内容だったと後から少し大きくなってから気付きました。

小学生のころ

小学2年生(8歳)の冬、1度目の転校をしました。
このときに出会った親友と呼べる友人が、今のわたしを作ってくれています。
2年後の小学4年生のときに、また転校してしまうのですが、この友人とはずっと切れない関係を保ち続けています。

彼女がいなければ、もしかしたらわたしは今頃、この世にはいないかもしれません。

小学4年の冬、大阪の学校へ転校します。
今までが、学年1クラスしかないような小規模学校だったので、4クラスもある大きな学校に上手く馴染めませんでした。
田舎から大都会へ放り出されたような…。

特にここは思い出もなく、1年後の小学6年生に上がるタイミングで和歌山の小学校へ転校します。

小学6年、今から思えばこの時期から不運のオンパレード。
和歌山の小学校(ど田舎)も、小規模学校だったので、クラスが1つしかありませんでした。

しかも学級崩壊寸前。
不運の始まりです。
必然的に学級崩壊寸前のクラスに転入せざるを得なかったわたしは、都会からの転入生として目を付けられます。
立ち回りに随分苦労しました。
処世術はきっとこのとき、徐々に身についていったのだろうと思います。

1年しかいない学校の卒業式は何の思い入れもなく、ただ出席しただけ。
卒業式出席の3時間を返せと、心の底から思いました。

中学入学から、中学卒業まで

普通の公立中学校に入学したため、小学校での面々がすべて同じ学校へ。
女子中学生にありがちな、無視から始まり、裏切りやいじめなどの友人関係でとても悩みました。

悩み多き中学時代でしたが、どうでもよすぎて、このときの記憶はほとんどありません。
夢はイラストレーターというのだけ覚えてます。

このとき何をしてたかと言うと、ずっと絵ばかり描いていました。
卒業する際に、美術の時間に作ったイラスト集を、1ページずつちぎってお世話になった先生に配りました。
残念ながら、あのときの夢はまだ叶えられていません!

高校入学から高校卒業まで

高校入学

ど田舎唯一の私立高校へと進学します。
本当は、公立高校に進学する予定で、更に言えば大阪に嫁いでいた姉からの提案で、将来のことを考えて大阪の高校に通うことになっていました。

母親に反対され、やる気をすべて失い、惰性で一番簡単なクラスを受験。
面接だけで合格しました。

勉強はそこそこ。
国語と社会(世界史)と理科の点数は学年上位。
ただし、英語と数学がまったくできなかったので、どれも中途半端な成果に終わりました。
文系でも理系にも振り切れてない残念なタイプです!

このとき、第2の親友が出来ます。
オタク友達です。
オタク度はわたしの方がレベルが高かったのに、いつしか追い抜かされ、今では教えてもらう立場に…。
彼女には、現在もいろいろなオタク知識をご教授頂いています。

高校2年生

2年次から理数科目がほぼ無くなるクラスにいたので、文系に特化した授業を受けていました。
このときに国語の授業を担当していた教師から、ゲームやら音楽やら…勉強とは関係ないことばかり学びました!

おかげで勉強をしない子に。
それでも絵だけは書いていました。

高校生のときに描いた絵が残っていました。
せっかくなので載せておきます。
創作物と、椎名林檎のCDジャケットをを模写したもの。

この時期の出来事で一番びっくりしたのが、友達のお父さんの愛人がうちの母親だったこと。
さすがにそのときは何も言えなかった…。

高校3年生

ここからうつ病が姿をちらつかせます。
原因は、母親が帰ってこない。
年齢も年齢なので、こういう表現が正しいのかはわかりませんが、表現するならばネグレクトです。

母親が外で男を作って、入れ替わり立ち代わり家にやってくることは日常茶飯事でしたが、帰ってこないのは初めてでした。

幸い家事はすべて自分でできたので、ある程度は自分でやっていました。
一人暮らしみたいな感じを楽しんではいましたが、進路決定も迫った卒業半年前からどんどん家に帰ってくる日数が減り、親子間の会話が激減。

すれ違い生活だったので2、3日顔を見ないことが普通に。
男の家で料理を作ったものを持って帰ってくるも、自分のためにごはんを作ってくれないという現実がかなりつらかったのを覚えています。

姉に相談し、見かねた姉が母親に言うも改善されず、ここから軽いうつ症状が4年程続きます。

まだイラストレーターになりたいという夢は捨てていなかったので、進路先は美大を希望していました。
金銭面で無理だろうということは薄々感じていたので、第2志望は自分の頭で入れるであろう文学部を希望。
糸井重里さんのファンなので、憧れからコピーライターの仕事をしたかったんです。
結局、親からの反対でどちらの進路にも行くことはできませんでした。

ここで振り切って家出でもしておけば…とずっと後悔しています。
ずっと自分に行動力と、自分で考える力が無かったことを悔やんでいます。

クラスの中で、自分だけが就職の道を選ばざるを得なかった事実がただひたすらショックでした。

同じクラスの人間が自分よりも勉強ができないくせに、お金だけ払ってエスカレーターで大学に進学する現実が許せなかった。
ここから極度の学歴コンプレックスに陥ります。

高校卒業後、すぐに就職し美容師の道へ

超ブラック体質の美容業界

就職したのは、姉の旦那が経営している美容室。
大学にもいけず、就職に困っていたわたしはここに就職することになりました。
母親が連れ込んできた男と再婚し、家にいられなくなったのも理由のひとつです。

超ブラック体質で、辞める人間数知れず。

大手の美容室であれば、もうこんなことにはならないと思いますが、個人経営はブラック体質が根付いています。
しかも、奥深くに刻み込まれているので、例え労基の監査が入ったとしても変わりません。

辞めたスタッフの通告により、労基の監査が入ったことがあります。
監査が入ったとしても、労働環境が変わることはありませんでした。
打刻時間をデータで改ざんされ、さも問題が無いように見せて終わりました。

早朝の着付けやヘアセットが続き、働きすぎと言われたある日。
「4日間休みにするから」言われて強制的に取らされた休みは、まさかの給与無し。

無しならまだよかった。
日給月給だったので、休んだ分日給が減らされるという事態に。
合計3万円程引かれた記憶があります…。

レッスンやモデル撮影の無い、純粋な休みは月に2度あるかないか。
辞めるまでの1年間の年間休日日数は45日。
営業時間は10時間ですが、そこにレッスンが加わるので、平均14時間程の労働時間でした。

オーナー(姉の旦那)の機嫌次第で、どうとでもなるような職場でした。

初任給は12万円。

基本給10万円と家賃補助2万円という安月給で、一人暮らし、学費、レッスンにかかる材料費を払うことに。
ボーナスなんてものは出ません!

人生で一番お金に苦労した時期です。
2年半勤めましたが、最終的な月収は15万円。

2年半で3万円もお給料増えるっていいよね!と思われがちですが、15万円という数字は、何もできない新人美容師(アシスタント)より少ないお給料です。
美容師の給与は、できる技術によって金額が上がっていく仕組みです。
普通の美容室であれば、18万円は貰っていてもおかしくはなかったと思います。

ここで働いていた間の貯金はゼロでした。

フリーターやってる今の方がお給料がいいという事実!

美容師時代もすべてが悪いわけではなかった

経営体制がブラックだったというだけで、同じ店で働くスタッフはみんないい人ばかりでした。
アシスタントとしてついていた上司が独立してからは、今でもお店のお客さんとして髪を切ってもらっています。
繁忙期はお手伝いにもいきました。

2年現場から離れていても、意外と美容師業できるな…というのがお手伝いの感想です。

このときに培った美容の知識や、接客方法が今の本業の礎となっています。
今も、美容師時代もアプローチ成功率が地味に高いのが自慢!

美容師してなかったら、きっとこんなに接客が好きになってなかっただろうし、もっとツンケンした人間だったはずです。
そういった点からは、いい方向に人格形成されたんじゃないかなと思います。

うつ病になってから寛解までの1年

うつ病はある日突然やってきた!

普通にいつも通りのワークスケジュールをこなす毎日。

何もしていないのに、1ヶ月で体重が7kg減少。
それから不眠、不安症状、希死念慮と、急にうつ病の症状がぶわーっと発現し始めました。

希死念慮とは
死ななければならないという強迫観念。
自殺について考えたりしてしまう症状のこと。

お金に対する不安、休みがないことに対しての疲れ、長時間労働のストレス。
いろんな要因が重なった結果だと思います。

このときから姉も同じ美容室で働くこととなり、姉と会話していても、仕事の話ばかり。
姉と一緒に働くまでは、よく家にも遊びに行っていましたが、同僚となってからは姉とオーナーに延々と仕事での指摘をされるばかり。
プライベートが無くなったかのような感覚でした。

このとき、できた彼氏(現在も付き合ってます)の相談をしたら、絶対に言わないで欲しいと言ったのに、すべて筒抜け。
身近に相談できる人間がいなくなってしまいました。

うつ病の引き金を引いたのは、オーナーの何気ない一言がきっかけでした。
ただ、この言葉を思い出すことができません。
思い出したら書こうかなーと思っているのですが…。
このあたりの記憶が断片的にしかなくて、何を言われたかすら覚えていません。

ただ、仕事を辞める辞めないのときに、家族会議みたいなものがありました。
そのときには「お前がうつになったのを労基に言ってみろ、この店潰れたらお前の責任だからな」とオーナーに言われたのだけ覚えてます。

姉と母親はどうしてたかと言うと、オーナーの言葉に頷くだけ。
完全に周りはすべて敵。
誰もわたしを庇ってくれることはありませんでした。

このときに、「ここにいたらわたし、うつと家族に殺されるな」と感じました。

うつ病急性期

ずっと涙が止まらない状態が続き、家から出ることもままならない日々が続きました。
自傷、希死念慮からオーバードーズをして救急搬送。

オーバードーズとは
大量に薬を飲む自傷行為のこと。場合によっては死に至ることもあります。

支えてくれた人たちには、とてつもない迷惑をかけました。
特に彼氏よ、ごめんなさい。

行った病院が悪かったのですが、最初の診断名が「躁うつ病」でした。
治療方針が合わず、途中で病院を変更。
最終的には「気分変調症」と診断を受けました。

どちらも精神病としては似たようなジャンルに属していますが、気分の上下幅が随分と違います。
躁うつ病が上下の差が激しいのに対して、気分変調症はかなりゆるやか。
気付かずに何年も経って、重症化するケースが多いそうです。

今回は重症化して、急性期に入り病状が悪化。
大うつ病という、うつ症状に発展してしまいました。
大うつ病は、うつと聞いて誰もが真っ先に思い浮かべるであろう、一番認知度の高い症状です。

うつ病を治すには、原因を取り除く必要があった

わたしのうつ病の原因は家族でした。
仕事よりも何よりも、家族によって苦しい思いをしていたんです。

母親は、わが子を自分の思い通りにしたいタイプの毒親。
姉は旦那に洗脳されて悪い方向に行ってしまった毒姉。

姉とはずっと仲良し姉妹だと言われ、周りから羨ましいと言われるくらいの仲でした。

父親と兄とは長年連絡も取っていない絶縁状態です。

家族の形を完全に失っていたので、家族と離れることに未練も何もありませんでした。
親友の力を借りて、家族から離れることを選択。
親友の家に1年居候させてもらいました。

ここでわかったのは、うつ病は原因さえなくなれば治るのは早いということ。
このとき、完全な絶縁とまではいかないものの、家族と離れることにより、病状は急激に回復。
1年後、病院の先生から寛解宣言をもらい、うつ病から解放されました。

1年間の居候生活と、身の回りのお金の話

居候生活が始まった!

美容師を辞めてから、しばらくは自力でなんとか生活を送っていました。
しかし、貯金がゼロだったので、すぐさま生活ができない状態に。

これはやばいと思った親友(小学2年生のときに出会った)が、うちにおいで!とわたしを呼んでくれたことで1年間の居候生活が始まります。

さすがに貯金ゼロでも、お世話になるんだからお金を入れなくてはいけない。
短時間でもいいから仕事をしなくては…と、近所のカフェでバイトを始めました。

21歳、生まれて初めてのバイトを経験する。

高校生のときは校則で禁止されていたので、バイトをしたことがありませんでした。
卒業後は就職してしまったので、バイトという経験がなかったのです。
そんなわたしが、エスニック料理のカフェでバイトを始めました。

メニューに載っている料理はすごくおいしいのに、毎日不思議なまかないが出てくるお店です。
シェフではない、中国人のお姉さんが作ってくれるまかないは、どこか酸っぱい。
…いい思い出です。

一般的には、うつになったら休まなくてはいけないと言われています。
でも、休めないから無理して働いてみたら、これが功を奏したのか回復の手助けに。
うつ真っ只中で身体が動かず、当初3時間しか働けなかったのが、5時間に伸び、いつしかフルタイムで働くように。

そのうち近所のハンコ屋さんで掛け持ちまで始めて、週6で働くように。
ハンコ屋さんではエースの称号を貰いました。
社員登用の話まで出ましたが、自由に生きたかったのでお断りしました。

このときの掛け持ちでバイトをしていたのが普通になってしまい、居候生活を終えても掛け持ちで週6勤務しています。

週5だとなにか物足りない。

お金に困っていたので、自立支援医療を活用しました。

バイトを掛け持ちできるような体力がつくまでは、暫く貯金ゼロのままでした。
友人宅にお金を入れたら、所持金が底をつくような生活です。

通院していた病院から、自立支援医療という医療費控除があることを教えてもらいます。
認可が下りると、通っている精神科への受診や投薬など、治療を受ける際の費用が免除されます。
精神病患者の治療を支援する仕組みです。

入院は対象外ですが、通院であれば、受診料や処方箋でかかる金額をかなり抑えることができます。
急性期がかなり急に訪れ、原因から離れたことで急に沈静化。
貰う薬の種類も量も、通院回数も他の患者さんに比べるとかなり少ない方でしたが、出費はできるだけ少ない方がいいということで、寛解するまで利用し続けました。

人生初めての貯金!

居候生活とバイト掛け持ちによって、ついには貯金が出来るように。
これを軍資金として、数ヶ月後、居候生活を終えることとなります。

実質、半年で貯めたお金は30万円。
自分でも貯金できるのか…と少し感動しました。
30万円ってかなり少ない貯金額ですが、この頃のわたしにとっては快挙です!
たった30万円で引っ越しすることを決意したので、もやしメンタルから一転、なかなかの強メンタルになっていたと思います。

居候生活の終わり。

ちょうど1年で居候生活を終えました。
半年で貯めた30万円を軍資金とし、親友の家から去ることを決意。

引っ越し先は大阪と決めていたので、計画通りに事を進めました。
大阪から毎週2時間かけて会いに来てくれていた彼氏の元へ行ったような感じです。

もともと彼氏と同棲する予定にしていましたが、自分のわがままで、もう一度自分の力で生活してみたいと一人暮らしを始めました。

きっちり30万円を使い果たし、大阪へ引っ越すことに成功!
また掛け持ちフリーター生活が始まります。

レンタルビデオ店員と、薬局店員になりました。
…振り幅すごいですよね。

この仕事先は今でも続けています。

わたしにとって要らないものを捨てました。

病院でのうつ病寛解宣言からは、うつの気配はほとんど消えて、普通の暮らしを送っています。
寛解したと言っても、やはり影はちらつくものなので、常に恐怖心との戦いです。
一度うつ病になると、再発の可能性は常にあります。

気分変調症という診断名がついたわたしは、更にそのリスクが高くなります。
病名の性格上、気分変調症とは一生のお付き合いをしなくてはなりません。
出来るだけ存在を感じないように、自分自身にとって負の感情を生むものを捨てました。

家族と絶縁しました。

居候生活中は最低限、親・兄弟とは繋がっていました。
兄弟が関わってくることはありませんでしたが、母親から定期的に連絡が入るような状況です。

電話が入ったとしても即喧嘩になっていたので、まともな会話をした記憶はありません。

絶縁したのは、居候生活を終えてからでした。
ただ、相手に知らせていないのは住所だけです。
親なので、本気を出せばすぐ娘のわたしの居場所を突き止めることが出来ます。
このとき、母親が再婚していた相手と離婚し、いつ寄生されてもおかしくない状況でした。

寄生されたらまたうつになってしまう…と思い、絶縁することをためらいもなく決定。

電話番号のみ通じるようにすることで、いつでも連絡できる電話という手段をあえて残しました。
住所を調べるという考えを無くす計画です。

電話がかかってきたことは何度かありますが、一度も出たことはありません。

完全に知れない状態を作ってしまうと、意地でも調べようとする可能性があります。
絶縁を考えている方は、ある程度の繋がりは残しておいた方がいい、とここでアドバイス残しておきます!

負の感情を捨てました。

なんか宗教みたいな感じですが、入信だとかそんな話はありません。

高校3年生のときから、どうしてわたしだけがこんなことになってしまったのか、と親と兄弟を恨んでいました。
殺意を抱いていた時期もあります。
でも、こんな感情持ってても自分が醜くなるだけと思い、完全に意識からぽーいと外し、捨てました。

この感情が無くなってから、人相良くなったねと言われます。
きっと、すごく暗い顔をしていたんでしょうね…。

学歴と免許を捨てました。

実は、美容師免許を取るために美容師時代から美容学校に通っていましたが、22歳のときに美容学校を自主退学しています。
なので、わたしの最終学歴は高卒です。

美容師免許を取得する条件は、専門学校を卒業すること。
卒業する前に退学してしまうと、再び学校に入学しない限りは免許を取得することはできません。
それでも、美容師になることはこの先ないだろうと、美容師免許要らない宣言をします。

ずっと抱いていた学歴コンプレックスも、退学した後はなぜか感じることはなく、気持ち的にはかなり楽になりました。

一人暮らしと同棲生活と結婚と。

一人暮らしを始めてから、随分と平和になりました。
この2年程は書き記すことが無いくらい平和です。

2度目の一人暮らし

今も前も変わらず、週6の掛け持ちフリーターです。
レンタルビデオ店員と薬局店員を楽しく掛け持ちしています。

この時期から、強メンタルなうえに、何故か風邪すらひかない超健康体を手に入れます。
ただ、2年に1度くらい少しやっかいな体調不良に悩まされます。(腎盂炎とか肺炎とか…)

強メンタルと超健康体を兼ね備えたわたしは、金の亡者になります。
この頃のわたしは貯金に目覚めた結果、いかに効率良く稼げるかということばかりを追っていました。
アホです。

週6どころか、最高23連勤までやりました。
もう一度言います、アホです。

1年で50万貯金し、これをまた軍資金に彼氏と同棲生活を始めます。
そして、ずっと気になっていた歯並びを治すことにしました。

同棲生活始めました。

一人暮らしから1年後、長らく付き合っている彼氏と同棲を始めます。
このタイミングで結婚を意識したわたしは、ずっとコンプレックスだった歯並びを治すため、歯列矯正を始めました。

歯列矯正、痛いんです。
でも、どんどんコンプレックスが解消されていくことに嬉しさを覚えます。
この歯列矯正のおかげで、また貯金ゼロに近い生活を送っていますが、なんの後悔もありません。

料理の腕がメキメキと上達し、ハンバーグに関してはプロ級だと自負しております。
至極どうでもいいですね。

結婚と。

まだしてません、独身です。
そろそろする予定です。

…したら、そのうちここに追記します。

自分の人生振り返ってみて

自分の今までの人生を振り返ってみると、結構人格歪んでるなと思います。
特に今と比べると、歪み方が半端じゃないです。

でも、歪んだ結果に今の自分があるなら満足です。
今の自分、結構気に入っています。

死を選ぼうとしても、救ってくれた人たちがいるので、もう簡単には死を選びません。

自分の人生を語ると暗い要素が多くて、少し恥ずかしい気持ちはあります。
でも、これを見てもらって、うつ病患者でもちゃんと寛解して、超元気に生きてる人いるんだと知ってもらえるならそれでいいと思っています!

最後に

約1万字の長文プロフィールをここまで読んでくださって、ありがとうございます!
ぜひ、当ブログ「tsugurism」と運営者つぐり(@tsuguriguri)をよろしくお願いします!

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